幕末のエネルギーのかけら 宇和島

宇和島藩は十万石 仙台の伊達家の分家で 三百年続いた名家でしたが 幕末の当主は
幕臣から入った養子の伊達宗城(だてむねなり)でした。

この人は 幕末の四賢候の一人といわれ (四賢候の残り三人は 薩摩藩島津斉彬 土佐藩山内容堂 越前藩 松平春嶽) 人々の期待を一心に集めました。

ただ四賢候とも 尊王の志は持っていても 志士たちのように熱血の攘夷論者ではなく 特に伊達候 薩摩候は 欧米の知識を旺盛に取り入れようとした大名でしたから どちらかといえば 外国排斥論者ではなかったはずです。

ただ 外国の脅威は充分感じており そのための殖産興業を奨励したり 自前で軍艦(蒸気船)を作ったりしました。

幕末 当主伊達宗城は佐幕派であったため 藩からは少しの脱藩者しか出ず また最後の最後 土佐藩や薩摩藩などの仲間の藩が 倒幕運動に走りはじめたときも 宇和島藩は沈黙し そのため明治政府誕生の時は乗り遅れましたが 当主が幕臣から来た養子の身であれば当然といえば当然のことでありましょう。

現代の宇和島は極めて静かな田舎町(たいへん失礼な言い方ですいません) で 幕末の雄藩の面影もなく 宇和島もその商業港の八幡浜も 周りの漁村とそんなに変わらなく見えました。

いまは真珠養殖と鯛やハマチの養殖が盛んで 魚が美味しい 海の美しい 田舎の港町に姿を変えています。

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